観察レポートNo.004 大人も子供も誰もが先生

 

 一般的な人:「先生」=先に生まれた人

 来夢人  :「先生」=先を生きている人

 

通常、自分よりも経験や知識が豊富で、尊敬に値する人のことを「先生」と呼ぶ。

そしてそれは自然と、目上の人に対する呼び名であることが多い。

そもそも「先」と「生」がくっついてできている言葉だ。

先に生まれた人のための冠のように感じてしまう。

 

来夢人は、そんな文字のトリックなんかには騙されない。

このスカスカな定義には、すぐに反例が思いつく。

例えば、魚にほとんど接したことのない人生経験豊かな40歳の人と、

海辺で育った漁師の息子20歳、

どちらが魚に関して知識や経験が豊富だろうか? 

言うまでもなく、漁師の息子だ。

 

学校の先生を思い出してほしい。

彼らは、あらゆる分野においての先生なのではなく、

数学であったり、物理学であったりと、ある1つの分野についての先生である。

では学生の方は…?

 

誰だって、何かしらの専門分野をもっている。

会社員ならその会社の業務、研究者なら研究領域、教員なら教えている教科。

来夢人は、ここにもう1つ付け加える。

「子供なら趣味が専門分野だ」と。

 

学校のクラスにもいたでしょう。

「音楽のことなら俺に任せろ」と言っている人。

「お菓子のことならあの人に聞けばいい」と言われる人。

「彼は昆虫博士だ」とまわりから認められている人。

 

各々が、得意な分野において「先」を「生」きている。

人を「先生」たらしめるのは、生まれてからの年齢ではなく、

いま話題にしている内容に関してのめり込んでいる時間の長さなのだ。

そう気づいた瞬間から、自分のまわりには老若男女問わず

多くの先生がいることに気づく。

そして年下の子供たちからも学ぼうという姿勢が生まれるのだ。

 

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